死後も持っていけるもの
ある時、稽古をする目的という話になって、福田師範に『死後も持っていけるものを得るため』と言われた。その時漠然と、霊性を高める?と言うことかと思った。輪廻転生は、人生という修行をするため、生まれ変わることと聞いたことがある。辛いことがあった時、それをどう乗り切るかで、霊の格が上がる?他人を貶めたり、自殺して、修行を中止することは、最悪で、地獄に落ちると聞いている。想念の修行という意味では、武道とか道のつくものは、人生の修行に近いと思う。
武術を突き詰めていくと、武道になる。未だにその違いはよくわからない。まず武術として、修行は始まる。武術は、つまるところ、いかに効率よく人を殺すかという技の集まりである。医学部でありながら、『人殺しの練習をしよう。』と稽古に誘う先輩がいたそうである。江上茂師範は、陸軍中野学校でも教えたことがあるそうで、ある時冗談かわからないが、知人に『まだ人殺しのやり方を教えているのか?』と言われたそうである。稽古は怪我をさせてはいけないが、真剣に人殺せる突きが出来るようにとやっていたものである。効率のいい体の動かし方、技の使い方を繰り返し訓練する。それだけでも学ぶことは多く、実生活でも役に立つことは、多い。効率を追求していくと、気持ち、精神的有り様が、いかに大事かが解ってくる。
その第一段階として、『出をとる』訓練をした。相手が攻撃してくる瞬間を察知して、攻撃受けるときには、外せるように稽古する。次には、『相打ち』同時に攻撃する。
殺し合いの果てに平和がある?夕雲流の奥義『相抜け』は、悟りであるのだろう。到達した者にしかわからない。到達した者は、他人がどの段階に入ったが、わかる。
突き詰めていくと、他人の気持ちを読めるようになる。そういうところから、理解し合える平和?となるのだろうかと今は考えている。
修行して、精神・霊を高めて、死んだ後、持っていきましょう。